「バブル」でなく「先取り」経済(5回中の4)

前回紹介した『剰余価値の先取り体制に関する試論』には若さ故の気負いがあり、文章が生硬で、内容的にも少し手を入れたいところがあるが、それはともかくとして、私は、この仮説を体系化することを畢生の仕事としようという気持は持ち続けていた。

 しかし、人生というものは、思うようにはならないものである。幸か不幸か、私の弁護士稼業は多忙を極め、「先取り」どころではなくなってしまった。そこで、早く「先取り」の取りかかりたいと思ったので、時間と手間がかかる裁判をできるだけしないようにと考え、交渉や和解によって紛争を解決することにした。ところが、世の中には和解によって解決してほしいというニーズがたくさんあって、かえって忙しくなってしまった。そして、「先取り」の方にはまったく手がつけられずに、あっという間に23年もの年月が流れてしまった。

一方、裁判をしないで交渉や調停・仲裁によって紛争を解決することについては、それがだんだん流行のようになる兆しが見えてきた。そこで私は、いずれ「先取り」に関して本を書くのだから、予行演習のために書いてみようと思って1988年に『弁護士の外科的紛争解決法』(自由国民社)を書き上げ、さらに後のことになるが1993年に『紛争解決学』(信山社)を書いたところ、ちょうど裁判をせずに紛争を解決する裁判外紛争解決(ADR)に対する取り組みがはじめられようしていた時機にマッチして、あたかも和解の専門家のように見られ、あちこちからお座敷がかかるようになった。

つくづく深みにはまったという思いをいだいていた1980年代の後半から1990年代のはじめころ、地価が異常に暴騰し、人々は、「バブル」、「バブル」と大騒ぎをするようになった。そして、狂乱地価が猛威をふるい、その地価の暴騰が引き金になった多様な事件が、いくつか私の事務所に運ばれてきた。

私は、その地価の暴騰こそ、価値の先取り体制がもたらした具体的な姿であることを、強く意識した。そして、先取りされた空っぽの価値が、奔流となって家賃や立退料に潜入するありさまを見て、もはや居ても立っても居られなくなった。

そのような衝動にかきたてられて、私は、1991年に『不動産賃貸借の危機――土地問題へのもうひとつの視点』(日本経済新聞社)を書いた。本来先に体系化すべき総論を飛ばして、各論を書くはめになってしまったのである。そして、この本の「あとがき」で『剰余価値の先取り体制に関する試論』に触れ、その一部を引用しておいた。

出版物でこの『試論』に触れた以上、いつまでも放っておくわけにはいかない。私は、3か月間新しい事件を受任しないことにして、まず時間をキープした。そして、とにかく筆を執ることにした。

こうして書き上げたのが、1991年刊行の『先取り経済 先取り社会――バブルの読み方・経済の見方』(弓立社)である。本の帯には、緑色の地の上に黄色で「バブルではない。先取りだ!」と大書されている。以下、『先取り経済 先取り社会』の内容に沿って、その要点を説明させていただくことにする。

まず、私は、「産業資本の側からの資金の需要は増加しながらその供給が減少すれば、利子率が騰貴するのは当然であって、賃銀の騰貴ないしは在荷の増大による利潤率の低下とともに借入資金の支払はもちろんのこと、利子さえ支払いえないことにもなり、一般的に信用関係が攪乱せられ、恐慌状態に陥らざるをえないのである。」(宇野弘蔵編『経済学 上巻』角川全書・142頁)という見解を引用し、それと私の「先取り」という認識との相違点を、次のとおり3点挙げている。

 「第1の点は、剰余価値の先取りという現実の姿にたってものを見ようということである。すなわち、利潤率の低下→価格の思惑騰責→信用関係の攪乱という順序で進むのではなく、剰余価値の先取りという認識を先にたてて、これを分析の道具とし、価格の思惑騰責、信用関係の攪乱などの諸現象を解明しようという方法をとる。

従って、第2の点として、私の方法によれば、恐慌という終着点に必ずしも到達するわけではない。利潤率の低下→価格の思惑騰責→信用関係の攪乱という認識にたてば、どうしても「恐慌状態に陥らざるをえない」という結論に到達するであろうが、私の先取り経済という認識にたてば、その都度その都度矛盾を解決しながらとり込んでいくので、容易に恐慌状態には陥らない。

従って、第3の点として、私は、その都度その都度矛盾を解決しながらとり込んでいくという過程の中にこそ真の問題があると認識する。このことはまた、先取り経済の功罪の「功」の方も視野に収めることになる。」

以上のように、これまでの経済学との相違点を押さえたうえで、私は、『先取り経済 先取り社会』という本を書き進めることにした。

 なお、『剰余価値の先取り体制に関する試論』の中では、「剰余価値」という概念を使って論じたが、これは労働価値説に強く引っ張られているような印象を与えてよくない。地価も考察の対象とすることを考えれば、「剰余価値」では適切でないと考えられる。したがって、『先取り経済 先取り社会』からは、「剰余」をはずして、「価値の先取り体制」とか「先取り経済」という言い方に変更した。その結果、概念的には厳格性を欠くことになるが、かえって一般性があって分かりよいのではないかと思ったからである。

 ところで、『先取り経済 先取り社会』は、全体で205頁の単行本であるから、ここでその全部を紹介することはできない。しかし、「資本主義は終わっている」という思考に至るまでには不可欠なことなので、必要な限度で骨子を述べることにしたい。

 まず『剰余価値の先取り体制に関する試論』の全文を引用し、その後は、「先取り」の態様、2つの仮説、「先取り」の拘束力、処方箋という章立てになっている。そこで、この順序にしたがって、以下に説明する。

 ここで、「先取り」の態様として取り上げたのは、個人による先取りとして融通手形とサラ金、企業による先取りとして利益計上の先行性、国家による先取りとして国債、個人・企業・国家による先取りの総合形態として地価暴騰である。

 そのひとつひとつについて詳しく述べる必要はないと思うが、そのうちの「利益計上の先行性」については、データをあげて、大企業の資本金に対する利益率は景気の変動にかかわらずほとんど一定であり、企業活動の結果が出る前に利益を計上する性向があるという仮説をある程度証明したうえで、「利益計上の先行性」の「功」について言及し、次のように述べている。

  「もともと経済成長のエネルギーは、将来企業規模が拡大することを見込んでそれを現在に引き寄せることによって増殖するものであるから、 利益計上の先行性をはかる衝動が起こることは自然の成り行きである。従って、利益計上の先行性の弊害だけを見ることは、片手落ちというものであろう。現実に利益計上の先行性によって企業は信用を獲得し、それによって設備投資をし、 さらに技術革新をはかって国民に多くの富や生活上の便利をもたらしたことは、事実としてまず肯定しなければならない。多くの国民が高度成長の恩惠を享受した事実に目を瞑るようでは、かえつてその弊害を語る資格はないと私は考えている。

  さらに、不況期になっても、企業は頑張って利益を計上してきた。そのときに、企業がそれぞれ工夫をこらし、合理化や新規事業の開発などに努力を重ねて、苦境を乗り切ってきた事実を考えれば、 利益計上の先行性によって信用を繁ぐという積極的な面も評価すべきであろう。従って私は、 利益計上の先行性とぃう企業の性向を非難の対象として論じてぃるのではない。そのプラスの面もマイナスの面も含めて、事実としての認識の対象に入れておこうといいたいのである。

   私の仮説は、大企業の資本金に対する利益率は、景気の変動の如何にかかわらずほとんど一定であり、 企業活動の結果が出る前に利益を計上する性向があるというものであった。この仮説が十分に証明されたと認められるかどうかわからないが、私には、「利益計上の先行性」という性向はあると確信している。 巨大な設備をつくってしまったらそれを稼動させなければ経済は循環しなくなる。高度成長の必然的結果として、全体が先取り経済の大きな車輪を押して、さらに動かしてしまったのだ。この圧力によって国債の発行も必然となる。」

 そこで次に、国債の項目に入るのであるが、ここでは、1966年1月に「昭和四〇年度における財政処理の特別措置に関する法律」が公布施行されて、戦後初めての赤字国債特例国債)が発行されたことに触れ、国債発行の歴史、国債の戦後史、国債の問題点に言及した。国債の問題点の中では、よく指摘されるように、大量の国債発行が財政の硬直化を招くということにも触れたが、私が最も言いたかったことは、国債が「先取り」に他ならないということである。

 この『先取り経済 先取り社会』を書いた当時の1990年末の国債発行残高は164兆円だったが、私の予想通りその後増加し続け、2010年度予算案によると、2010年度末の国債発行残高は637兆円(国債と借入金、政府短期証券を合わせた債務残高の総額は973兆円)の見込みになるということである。この国債等の国の借金総額を人口数で割ると、国民1人当たり763万円になる。

 ここで思い出してほしいことは、地価が暴騰した1990頃からしばらくの間は、国債発行は抑えられていたのである。この地価暴騰については、「バブル」、「バブル」と騒がれていたが、私は、これこそ「バブル」でなく「先取り」がもたらした典型的な現象だと考えていた。当時、都市部の地価が瞬く間に2,3倍に騰貴し、銀座などは3.3平方メートル(坪)当たり1億円を超え、日本の全国土の総額が1842兆円に達して、日本の全国土を売れば、アメリカ合衆国の全国土を4回も買えるという話が流布されていた。しかし、この地価暴騰が崩壊して、1990年代の長い不況が続いたことは、まだ記憶している人も少なくないだろう。この現象について、私は、次のように言っている。

  「1985年頃、東京の青山地区、銀座地区などからはじまった地価の高騰については、実際にビル需要があり、それが刺激になったことは事実であるが、将来のビルの需要が供給を大きく上回るという予測とカネ余り現象が結びついて、現実の需要を先回りする形で土地が買い漁られた。つまり、将来の需要が先取りされて、その先取りされた価格が高く設定されたのである。このようにして高く設定された地価は、その時点では、実質地価を相当上回った。私は、このようにして高く設定された地価と実質地価との差を「虚の価値」と呼ぶことにしている。この虚の価値は、虚の姿のまま連鎖反応をおこす。」

 そして、国債と地価暴騰との関係については、次のような記述がある。

  「国債発行残高が膨張する一方、1985年度からは10年ものの国債の償還が始まるという事態に及んで、財政の再建がはかられるようになり、赤字国債の発行をゼロとすることに目標が設定された。このような背景のもとに打ち出されたのが中曽根民活である。そして、この度の地価暴騰が折り重なるようにやってきた。この間の活発な土地取引によって土地譲渡所得税が大幅に伸び、1990年度の一般会計税収は60兆円を越えて、赤字国債は首尾よく発行しないですんだ。

  このように、地価の暴騰と国債の発行は、交互に、間髪をいれずやってくるのだ。それは何もおかしいことではない。地価の暴騰も、国債の発行も、価値の先取りということでは同じものであって、しかも、両方とも景気を刺激するという立派な役割を担っている。このことを考えれば、地価暴騰と国債発行が、相互に関連づけあって、舞台に登場することは、何の不思議もない。

  わが国の経済体制は、価値を先取りすることによってもちこたえているのであるから、国債発行が手づまりにきた後には、地価暴騰がやってくるのは当然である。」

 2008年来、サブプライムローンの破綻による金融崩壊に直面して、70兆円規模の公的資金を投入することが問題になっているが、1991年に私が書いたこととほぼそっくりな現象がアメリカで起こっている。私に言わせれば、資本主義は「先取り」を属性にしているので、このような現象が起こるのは避けられないことなのである。(廣田尚久)

※本エントリは2010/03/10にCNET Japan ブログネットワークに掲載されたものです。
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