共存主義の未来像

前回述べた方法により共存主義の基礎を打つことができたとして、その基礎の上に、どのような未来を築くことができるのだろうか。この論考の最終回にあたり、共存主義の未来像について、ごく大まかなスケッチを描いておきたい。

 しかし、ごく大まかなスケッチと言っても、それを描くことは容易ではない。それは、数多くの複雑な問題を抱えている「資本主義」が立ちふさがっているからであるが、その障害に取り組むことを考えるだけでも、気の遠くなるような話である。

 とくに、経済のグローバル化によって、問題解決の困難さはひと昔前より数段高くなっている。例えば、金融市場のグローバル化によって、その影響は国境を越えて波及するから、何か問題が起こったときには、たちまち世界の隅々にまで広がってゆく。

モノの移動も国内だけでは語れなくなっているが、生産の着手から完成まで時間がかかり空間的な移動も簡単ではないモノと違って、金や信用の移動は光速に等しいスピードで移動させることができる。それだけでなく、モノ自体を膨らませることはできないが、金や信用ならばいくらでも膨張させることができる。

ここでやっかいな問題は、主権の及ぶ単位が国家という形でまとめられていることである。グローバルとか、グローバリズムといっても、それを束ねている組織が存在しないので、問題が起こったときに、その国の中だけで解決しようとしても、なかなかうまくゆかない。

国連などの機関があっても、それが扱っている事項はごく限られている。G7(主要7カ国財務相中央銀行総裁会議)で何かが決定されたとしても、それを具体化するのはそれぞれの主権国家であるから、実際に施策に反映させるかどうかは保証の限りではないのである。これは、いわば「グローバリズムの二重性」というべき現実であって、通常の商取引を担う層と問題解決の層とがマッチしていないのである。

以上のような困難性があるとしても、共存主義の未来像を描いておくことは必要であろう。私は、「未来」を構想するのであれば、その前提として、可能な限り「先取り」をしないこと、そして「先取り」を助長するシステムを極力排除することが肝要であると考えている。

例えば、オバマ大統領は、2010年1月21日に金融規制を強化する改革案を発表した。その改革案では、銀行と証券業務の垣根を高め、銀行が証券、債券などの自己売買を行うことや、ヘッジファンドを運営したり、それに投資することを禁止する内容になっている。もともとアメリカでは、1930年代の世界恐慌時に、銀行業務と証券業務の垣根を厳格に分ける「グラス・スティーガル法」が制定され、銀行がリスクの高い投資に傾斜することを防いできたが、1980年以降に規制緩和の流れが加速し、クリントン政権時の1999年に同法が撤廃された(2010年1月23日付け朝日新聞)。

この「グラス・スティーガル法」が撤廃されたことと、デリバティブなどの開発によって「先取り」が盛んに行われるようになったこととは軌を一にしており、その意味でオバマ大統領が金融強化を強化する改革案を打ち出したことは、「先取り」の防止に踏み出したものとして注目に値する。

なお、この金融規制強化案の発案者であるボルガー米経済回復顧問委員長は、2010年2月2日、米上院銀行委員会の公聴会で証言し、「強力な国際合意が適切だ」と述べ、日本を含めた各国が同様の規制強化をすべきだとの考えを示した(2010年2月4日付け朝日新聞)。さらに、同月5日から始まった先進7カ国財務相中央銀行総裁会議G7)で、ガイトナー米財務長官は、金融規制強化への協調を求めた(同月7日付け毎日新聞)。これらの発言は、私の言う「グローバリズムの二重性」を意識し、その克服の必要性を訴えたものと理解することができる。

いずれにせよ、アメリカの金融規制を強化する改革案のように、「先取り」をさせないという方向付けが、共存主義の未来像を描く前提として必要である。

グローバリズムの二重性」を克服する方法について、もう少し考えてみよう。

欧州連合(EU)の欧州委員会は、金融市場の信認回復と危機の再発防止に向け、国境を超えた横断的な監督機関の創設を進める方針を固めた。そして、欧州では「世界を一元的に監督するには限界があり、欧州でまとまる必要がある」との声が強まっているとのことである(2009年2月26日付け毎日新聞)。

また、東南アジア諸国連合ASEAN)と日本、中国、韓国の13カ国による会議がチェンマイで開かれ、対外債務の返済が困難になった国にドルを融通する「チェンマイ・イニシアチブ(CMI)」の規模を総額1200億ドル(約11兆円)に増やすことに決め、域内各国の経済情勢を独自に監視する専門チームをつくることでも合意し、国際通貨基(IMF)が支援を決めなくても必要に応じて独自に支援する枠組みを拡大する方針だと言う(2009年2月23日付け朝日新聞)。

世界を一元的に監督、管理することは難しくても、アジア、北米等々と他の地域で同じような機関を設け、それぞれの機関が連帯して取り組むことが必要であるし、また不可能なことではないだろう。このように、小さなコミュニティーからだんだん大きな組織に積み上げていって、国、地域という単位の連合体を組織し、その連合体が連帯してネットワークをつくることによって、グローバリズムの二重性を克服することが望ましいと思う。

この下から積み上げていって全体に至るという地道な仕事を成し遂げるためには、グローバリズムの上に位置づける上位概念がほしい。その上位概念としては、「資本主義」は今や力不足だろう。「市場原理」はその犯罪的所為によって退場を迫られているからである。そこで、その上位概念として「共存主義」を持ってきたい。

これまでは、グローバリズムが最上位の概念になっていたかの感があったが、連帯の契機を含まないグローバリズムは、野放図な「先取り」の温床になりかねない。したがって、「共存主義」をグローバリズムの上位概念に位置づけることが必要である。

「共存主義」を上位概念に置くとした場合、現実に、この地球上に、さまざまな人間や国家などありとあらゆるものが共存しているのであるから、それは当り前のことを言っているに過ぎないと言われるかもしれない。それはその通りであるが、ひとつの時代に対して「共存主義」とネーミングする以上、そこには評価的な要素が付加される。つまり、共存することはよいことだとか、共存しているのだから仲良くしようとか、皆が共存できるようにことを運ぼうとか、「共存」を意識することによって、行動の指針や目標などが見えてくるのである。

こうしてみると、「共存主義」の中身が重要になる。すなわち、「平和な共存」か「混乱した共存」か、「皆が食べてゆける共存」か「貧富の差が大きい共存」か等々、あらゆる場面で「共存」の質が問われることになる。

しかし、私があえて「共存主義」とネーミングしようという気持ちの中には、ネーミングすることによって、現実に存在している「共存」をレベルの高い所に持ってゆきたいという目的がある。そして、そのような目的を達成するのであれば、現に存在している具体的問題に、1つ1つ質の高い共存を目指して取り組んでゆかなければならない。

しかし、世の中には、膨大なファクターがあるので、1つ1つの問題をここで取りあげることはできない。この論考は、ごく大まかな総論であるから、「共存主義」の質を高めるときに念頭におかなければならないポイントだけを述べることにしたい。

 「共存主義」の時代は、暫定的なものかもしれないが、しかし、この時代になすべきことはたくさんある。それは第1に、資本主義の時代の後始末をすること。第2に、新興国の人々が中産階級になることに共同で参画すること。第3に、その次の時代に備えて、「共存主義」自体の中身の質を高めること。

私が考えているのは以上であるが、これらは同時進行で行われなければならない。そして、以下に列挙する要請にこたえる必要がある。

1 人々が自由であること、2 公平で平等な社会の構築、3存在を脅かされている人々を救済する措置がとられていること、4紛争解決システムの構築、5経済の恒常的な循環、6平和の実現、7民主的であって官僚的でない組織の構築、8持続的な環境保全、9循環型社会の構築

 以上の要請は、ジレンマに立っている。しかもそれは、複合的なジレンマである。したがって、人類が今までに経験したことのないような困難を伴うものであるが、これらの要請を同時に充たす「解」を出さなければ、これまでの繰り返しになるだろう。すなわち、ジレンマに立ち向かって、克服しなければならないということである。ジレンマがあるからといって尻込みするようでは何もできないし、世の中はよくならない。

ここで私が述べたことは、あたかもユートピアを描いているに過ぎないと笑われるかもしれない。しかし、あえて言えば、理想を嘲笑してあくなき利得を追求した結果がこの度の崩壊である。今や、理想を追求しなければ、人類は生き残ることはできない、と肝に銘ずる必要があると思う。すなわち、理想を追求することこそが、最も現実的な道なのである。そのためにこそ、「共存主義」を強く意識する必要がある。

 では、具体的にはどうすればよいのだろうか。ここから先は、膨大な政策論を展開しなければならないが、これについては、共生主義を提唱している先駆者の意見、提唱が参考になる(例えば、内橋克人『共生の大地 新しい経済がはじまる』(岩波新書))。「共生社会」、「共生経済」などの研究は、かなり以前から進められ、深められている。

率直に言って、私はまだ研究不足だが、各論の政策論に入る前提として、私が考えているポイントだけを述べさせていただくことにしたい。

第1に、もはや資本主義とは違うハイブリッド体制であることをリアルに認識することである。これは、人種、民族、信条、宗教、経歴、年齢、性別によって差別をしないということに通ずる。これまでは、「資本主義」の名のもとで、あまりにも差別をし過ぎた。これからは、「共存主義」でゆこうというコンセンサスを確立して、何びとをも否定せず、卑しめず、何びとからも収奪しないという確固たる意志を固めるべきである。

 第2に、国や公共団体による事業を抜本的に見直すことである。前に述べたように、国や公共団体が設立し、運営している仕事のシェアが大きくなり、そのことが資本主義の終焉の理由の一つになっているのであるから、そのことを率直に認め、事業を見直すことが必要である。例えば、「規制緩和」、「小さな政府」の掛け声のもとで、不採算部門の農林水産業が切り捨てられてきた。これを抜本的に見直し、失業者を公的資金で全員雇用して、農、林、水産業に従事してもらうというような思い切った施策が必要であろう。そうすれば、失業者の職と食が確保される。また、食糧自給率や木材自給率も上昇する。このようなことは、資本主義の枠の中ではできない。なぜならば、生産物の価格が低いために農林漁業に従事する人の労働が正当に評価されていないからである。そこで、農林漁業を半ば「公」のものとする「共存主義」のもとで、国や公共団体が手厚い補助をするべきであると考える。

 第3に、「計画」という要素を、どのように盛り込むかという難しい問題がある。「計画」は、多かれ少なかれ「自由」を束縛する。「自由」という人間の尊厳の基盤は最も尊重すべきであるが、そこから派生する「競争」を放置すれば、節度を失ってものごとを破壊する原因になる。したがって、節度ある競争は許されなければならないが、節度を保たせるために計画が必要だという発想が出てくるのは自然の成り行きになる。その計画が、将来の長期にわたるものであれば、自由に対する拘束性は高まることになる。ソビエトが崩壊して、社会主義経済の成り行きについてはほぼ結論が出た感があるが、現在の段階では、あまり拘束性の強い計画経済がうまくゆくとは考えられない。しかし、新自由主義的な自由放任のやり方が破綻した今日においては、計画経済に希望を託す動きは出てくるのではないだろうか。

 この場合、最も極端な計画は、全世界の生産力を計量し、それをどこに配置するか、物流するかを計画的に決定することであろう。これは、そのこと自体が望ましいかどうかという問題はあるが、仮に望ましいとしても、実現するのは極めて困難なことであろう。しかし、全世界的な視野に立って、情報を交換すること、部分的にまたは問題ごとに計画を立てること、あるいは基本的な計画や目標を立てることは、今後必要になってくるのではないだろうか。もし、そのような計画性がなければ、その隙を突かれて、また崩壊の危機にさらされることになるだろう。例えば、地球温暖化問題に対する京都議定書のようなものが、環境問題に限らず、経済、社会のいろいろな問題に対して要請されるようになると思われる。そのときに必要な概念が「共存主義」ではないだろうか。

共存主義の時代の未来に向けて、どのような具体的な方策を立てるかということは、極めて重要なことである。それはそのまま、共存主義の時代の制度設計になるだろうから、衆智を集めて取り組む必要があると思う。ここでは、その前提となるだろうと思われる点をいくつかあげてみたに過ぎない。前提問題に限定するにしても、ここに述べた以外にもたくさんあり、また、さらに重要な問題があると思われる。

「資本主義の時代はすでに終わっている。今や共存主義の時代だ」という私の意見に賛成される否かはともかくとして、「もしかしたら、時代は変わったのかもしれない」という観点でものを見れば、少なくとも、「瀕死の資本主義」にしがみついて誤りを犯したり、「血まみれの資本主義」の暴挙によって世界中が混乱の渦巻に落とされるようなことはなくなるだろう。

ギリシャの財政危機を端緒として、やがてヨーロッパ全土に経済危機が覆い、ついに世界全体に恐慌が及ぶのではないかという恐れを持っている人は少なくないだろう。今回のギリシャの問題は何とか凌ぐことができたとしても、「先取り」が続く限り、遠からず「その日」を迎える確率はかなり高いのではないかと思う。要は、「その日」を迎える前に、次の時代を築くことができるかどうかということである。私は、「資本主義は終わっている」ということを厳しく認識し、崩壊の日を迎える前に手を打っておく必要があると考えている。

この論考は、とりあえずここで終えることにするが、長い間にわたって、このブログを開いて下さった皆様、有難うございました。(廣田尚久)


※本エントリは2010/05/19にCNET Japan ブログネットワークに掲載されたものです。
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