「バブル」でなく「先取り」経済(5回中の5)

前回は、『先取り経済 先取り社会』に沿って、「先取り」理論の展開を途中まで書いたが、先に進めよう。

「二つの仮説」という章では、「先取り」の仮説を修正するとともに、もう1つ仮説(スタグフレーションの仮説)を立てたが、ここでは、「資本主義は終わっている」というテーマに従って、前者のみを説明することにしたい。

 なお、『剰余価値の先取りに関する試論』の中では「剰余価値」とあるが、「剰余」をはずすことについては前々回と前回で述べたとおりである。その結果、「先取り」の仮説は、以下のとおりとなる。その後に書いた小説も、今回変更した内容を念頭に置いていたので、ここで、「先取り」の仮説について、修正部分ふまえて、まとめておく必要があるだろう。すなわち、価値先取りの仮説は、次のとおりとなる。

   「現在の経済の特徴は価値を先取りする強い指向をもっていることである。価値の先取り体制のもとでは、価値が生み出された後にその分配関係が本質的矛盾となるのではなくて、生み出される前に先取りされた虚の価値が、後にいかにして実の価値として埋めつくされるかかが、本質的矛盾となるのである。」   以上の中で、「価値」という言葉が分かりにくいかもしれない。ここでは、「人々の労働や企業活動によって生み出されるもの、あるいは生み出されるべきもの」という意味で使っている。「富」とか、「財貨」とか、「利潤」とか、「付加価値」とかという言葉に置き換えてもよい。

 したがって、その「価値」を生み出すものは、「労働」とは限らないとも言えよう。例えば、「知的活動」などもあり得る。しかし、そのようなものも、人々や企業が何らかのエネルギーを注ぐ営みであるから、それを総称して、「労働」と言っているのである。

 また、「埋めつくされる」とあるが、当然、埋めつくすことができなくなることもある。そのときは、経済的破綻という結末になるのだが、それは、「本質的矛盾」の中に入るものとして、特記しなかった。なお、本質的矛盾は、経済的破綻にとどまらない矛盾を露呈することもあるので、そのことも注意を要する。

『先取り経済 先取り社会』の次の「「先取り」の拘束力」という章では、拘束力の様相、「先取り」の潜入、消費と生産、社会問題、内なる疎外という順序で、拘束力を論じている。まず、「拘束力の様相」については、次のような説明がある。

  「先取りされた価値は、はじめは計算上のものであっても、次第に実体になろうとして、ここにさまざまな力学が働いてくる。すなわち、虚数が実数になろうとして、巨大なエネルギーが動きはじめるのである。このエネルギーには、2つの様相がある。ひとつは、先取りされた価値自体が、先取りされたという事実そのものによって点火され、自らエネルギーを増殖させて動き出すことである。もうひとつは、先取りされた虚数の価値を実数にしようとする人間や集団が、そのためにエネルギーを投入して増殖させることである。この2つのエネルギーは、相互に関連し補強し合いながら、虚数を実数にしようと強力な力を発揮する。あるときは巧みな宣伝を操り、あるときは物理的強制力をも辞さない。こうして、先取りは、人間の諸行動を拘束する。私は、これを「先取りの拘束力」とよぶことにする。」

 その例として、大量の国債発行が、国債の発行という先取りをしただけで、自動的に財政を硬直化し、将来を拘束するという歳出の面だけでなく、先取りした虚の数(まだ中身が入っていない空っぽの数字)を実数にしようとするエネルギーが働いてきて、新たな財源を求める動きをする。すなわち、地価の暴騰による譲渡所得税相続税の上昇など歳入の面にもあらわれてくる。その結果、地価暴騰の当時には、相続税を支払うことができず、やむなく土地を売却せざるを得ないという悲劇があちこちで起こった。このように、「先取り」の拘束力は、地価暴騰には何の責任もない人のところに働いてくるのである。

 次に、「「先取り」の潜入」では、地価暴騰によって吊りあげられた虚の価値が、家賃や立退料の中に潜り込んで、建物の賃貸借関係を破壊していることを指摘した。実際に、地価暴騰の当時は、この「先取り」の拘束力によって、多くの人が苦しんだり、影響を受けたりした。

さらに、「消費と生産」、「社会問題」などに言及したが、長くなるので省略する。ただ、「先取り」が私的所有にまで影響を及ぼしていることについて言及しているが、このことは、資本主義の根幹を揺るがす重要な問題であるので、その部分の主要点を引用することによって、ここで頭出しをしておこう。

  「資本制社会における法は、私的所有のうえに成り立っている。すなわち、所有者は、自己の所有物を排他的に支配できるという前提で社会が組みたてられている。しかし、「先取り」が拘束力を発揮すると、この根幹が怪しくなってきた。私は、『剰余価値の先取り体制に関する試論』で、「個々の商品が私的所有の対象となる以前に、外界的自然を企業ないし国家が支配しているという観念が先行し、しかもその支配の観念が、複雑に折り重なってくる傾向がある。」と言ったのは、このことである。すなわち、所有者が自己の所有物を排他的に支配できると思っていても、実は、その所有物のうえに、他人の手が伸びてきているのだ。自分の所有物が、既に他人の手の中にある、しかもその手が何本もある、これが先取り体制のもとの所有権の姿である。」

 「社会問題」の最後には、「内なる疎外」という項目があり、「先取り」によって心を失っていく様相を取り上げた。

   「人びとは、価値を先取りされてしまっているが、肝腎の相手が見えない。闘うべき相手が見えればその相手と闘えばよいのであるが、先取りした相手は過去にいるか、遠くにいる。また、単数とは限らない。むしろ多数ということが多い。いずれにせよ、漠然としていてよく見えない。体制そのものによって先取りされていることもある。また、人びとは、目標を設定することができない。先取りされた質量が大きすぎて、少々頑張ったところでとうてい追いつけない。こうなると人生の目標も何もふっ飛んでしまう。かくして人びとには無力感が支配し、主体性を喪失していく。」

 そして、第一次世界大戦後のドイツにおけるマルクの暴落の時代に、精神病が多くなり、道徳的退廃が広がったことを例にあげ、わが国に横行している、詐欺、横領、略奪、暴力、殺人……この不可解で、陰鬱で、出口の見えない精神的荒廃について、私は、「書く元気はない」と言っている。ここでは字数の関係で詳しく述べることはできないが、「先取り」の拘束力はまことに凄まじいばかりである。

私が『先取り経済 先取り社会』を書いたのは1991年だったが、それから20年近く経った今、街に失業者があふれ、犯罪が横行している様相をみれば、「先取り」の仮説が現実になっていることは、誰でも実感できることだと思う。

『先取り経済 先取り社会』では、最後に「処方箋」という章を設けて、「先取り」に対する解決方法の困難性に触れ、考え得る対処方法を述べたが、この問題は、1991年から今日に至るまで継続している懸案問題であるから、後にまとめて考察することにする。

 さて、『先取り経済 先取り社会』を書いたものの、私の生業である弁護士の仕事はますます多忙を極め、会社員時代に構想していた体系書を書くことは、とうてい不可能であることが分かってきた。しかし一方、地価暴騰という狂乱状態が沈静化して、経済的不況がやってきた。それと軌を同じくしてデリバティブ金融派生商品)などという金融商品が出回って、新たな方法による「先取り」が行われるようになった。

 私としては、これこそ畢生の仕事と思い定めていたテーマであるから、黙って見過ごすわけにはゆかなかった。さてどうするかと考えていたとき、私はふと、幼少のときから小説家になろうと考えていたことを思い出し、小説の形式で書いてみようと思いついた。そして、小説の方が、いろいろなテーマを織り交ぜて「先取り」を書くことができるし、深いところまで到達できると自分を納得させた。

 こうして書き上げた近未来小説が、『壊市』(汽声館、1995年5月・全286頁)、『地雷』(毎日新聞社、1996年5月・全284頁)、『蘇生』(毎日新聞社、1999年9月・全343頁)の三部作と『デス』(毎日新聞社、1999年6月・全198頁)である。

 これらのボリュームのある小説を、ここで紹介することはとうていできない。しかも、テーマも、「先取り」だけでなく、貨幣、環境、武器、民族、国家、紛争、和解、対話、衆議、ボランティア、入会権、社会、宗教、神、愛と入り組んでいる。しかし、表の筋は「先取り」に乗せてあるので、それなりに従来から私が抱いていた課題に答えた形になっている。

 これらの小説の中で、「先取り」に関する『先取り経済 先取り社会』以後の経済現象や私なりの考察などを扱っているので、本来ならば、その「あらすじ」だけでも書いておきたいところである。しかし、この「「先取り」理論の成立と展開」の章は、すでに5回にも及び、あまりも長くなってしまったので、省略せざるを得ない。

 ただ、ひと言だけ言わせていただければ、小説『デス』に書いた当時の近未来の世界が、10年後の2008年秋アメリカ発の金融崩壊によって、ほぼ現実のものになってしまった。したがって、もしご関心があれば、図書館で読んでいただきたい。私の小説は、あまり売れなかったので読んだ人は少ないだろうが、多分図書館には今でも残っていると思う。(廣田尚久)

※本エントリは2010/03/17にCNET Japan ブログネットワークに掲載されたものです。
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