ケインジアンの理論に対する懸念

新自由主義に取って代わられる前に主流の位置を占めていたのは、ケインズ経済学である。ケインジアンの理論は、1929年の恐慌を克服するためのニューディール政策に採用され、ごくおおまかに言うと、以後1960年代まで各国の経済・財政政策の主流の座を守っていた。しかし、前回述べたように、景気過熱によるインフレ、巨大な財政赤字、公共事業や福祉政策の肥大化という現象が顕著になると、主流の座を新自由主義に譲るはめになった。

 ケインズ経済学の中で、とくに槍玉に挙げられていたところは、資本主義経済の自動調節機能は不完全であって、完全雇用や物価安定を実現するには、財政政策・金融政策などの政府による政策介入が必要である、とするケインジアンの考え方であろう。

 しかし、この度のような金融崩壊による不況と失業者の増加に直面すると、新自由主義の理論は一転して集中砲火を浴び、またしても、政府の財政出動を要請する声が高まってきた。そして、米国、欧州、中国、日本などが次々と政府の財政支出による金融機関、企業への救済措置をとるようになった。つまり、困ったときの神頼みではないが、「不況のときのケインズ経済学」と再登場を促され、今や、「財政出動」「財政出動」の大合唱である。

 確かに、当面の応急措置として、各国の政府が財政出動をすることはやむを得ないことであろう。しかし、ケインジアンの理論に対する批判は、インフレや財政赤字をもたらしたという歴史的事実を踏まえてのことだったはずである。だとすれば、ここで財政出動をすることは、その当時の批判が批判として復活することになる。具体的に言えば、財政支出によって多額の財政赤字を抱え込む各国の政府は、今後どうやってその財政赤字を解消するのであろうか。わが国を例にとると、2010年度予算案によれば、2010年度末の国債発行は637兆円(財政債を除く)の見込みであるが、これは一般会計の17年分に当たるという。これを一体どうやって償還するのだろうか。

 問題はそれだけでない。1960年代と異なって、経済はよい意味でも悪い意味でもグローバル化している。したがって、最近のドバイの財政危機に見るように、一国の財政支出やその結果の財政破綻が、ただちに他国の経済に影響を及ぼす。すなわち、一国の財政支出財政破綻がその国だけの問題にとどまることはないのである。

 ここで考えておかなければならないことは、各国の政府が財政支出を行うときに、それがどこに、どのように影響を及ぼすかということだ。そして、各国の政府の財政支出に対して、国際的なコントロールが利くかということである。新自由主義の理論を捨てて財政出動を是とする政策に乗り換えても、経済がグローバル化している限り大量の貨幣や信用が世界中を動きまわるのであるから、国際的なコントロールの必要性は同じである。ケインジアンの理論を復活させて財政支出をするとしても、この点を緻密に検討しておく必要があると思われる。

 金融システムを安定させることについては、昨年開催された主要7ヶ国(G7)の財務相中央銀行総裁会議や主要20カ国・地域(G20)の財務省中央銀行総裁会議でも議論された問題であるが、実際に国際的にコントロールができるかという問題になると、心許ない気がする。

 私が「先取り」という概念を使って金融や貨幣の問題を考察したのは、前(第2回)に述べたように1962年からであるが、私は、新自由主義の理論とケインジアンの理論は二者択一ではなくて、楯の両面だと考えている。市場をうまく利用できる段階には前者がもてはやされ、市場が破綻すれば後者が正当性を帯びる。ただそれだけのことであって、根は同じである。

 では、どこが同じなのか。

 すなわち、価値が生まれる前に、実体のない価値、空っぽの価値を先に取ってしまう「先取り」という点では、新自由主義の理論による政策も、ケインジアンの政策も、相違がないということである。

 新自由主義の理論を捨てて、ケインジアンの理論が復活させても、個人レベル、企業レベル、国家レベルの「先取り」が行われることは確かであるが、この段階では、厖大な国債の発行という国家レベルの「先取り」が行われて、やがては経済的、社会的なダメージを与える。このことは、少し考えれば分かることであるが、何よりも歴史が証明している。

 資本主義の時代に入ってから、人類は延々と「市場」を使って、この「先取り」を繰り返してきた。そして、市場は度々暴走する。その市場の暴走を、今現在の人々も見せつけられているのだ。

 前回、ケインズ経済学と現在の標準的マクロ経済学の双方とも、今回の世界的な金融危機を扱うだけの能力がないと指摘した朝日新聞の論説を紹介したが、それは双方とも、「先取り」という歴史的事実が念頭にないばかりか、むしろ「先取り」を容認、助長する論理だからではないだろうか。

 それでは、どのように市場は暴走してきたのか?

 次回に、その歴史をひととおり見ておこう。それを見れば、これまで「バブル」と言われていたものが、実は「先取り」であることが分かるだろう。(廣田尚久)

※本エントリは2010/01/13にCNET Japan ブログネットワークに掲載されたものです。
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