なぜ資本主義が終わっていると認識されていないのか

 資本主義は終わっている。

 資本主義の時代は、すでに終わっているのだ。

 資本主義の時代がすでに終わっていると認識している人は、かなりいるのではないだろうか。はっきり認識していなくても、薄々気づいている人は、相当多数にのぼるのではないだろうか。

 とくに、2008年秋の世界的な金融危機以降、新聞や本に「100年に1度の危機」という言葉が並ぶと、資本主義の時代は終わったのかもしれないという思いが頭をかすめる人は少なくないだろう。

 しかし、それでもなお、資本主義が終わっているという認識が、人々に広く行き渡っているとは言えないと思う。それは何故かと自問すると、私なりに、5つの解答が思い浮かぶ。

 その解答を、まず先に列挙しておこう。

 第1に、すっかり全部終わったとまでは言いきれないからである。

 第2に、資本主義が終わっているとしても、その時期を確定することが難しいからである。

 第3に、「資本主義は終わっている? まさか!」と思われているからである。

 第4に、資本主義が終わっていることを論証する的確な言葉を、人々が使っていないからである。すなわち、「バブル」などという言葉を使うから、本当のことが見えなくなっているのである。

 第5に、資本主義の次の時代の名称がないから、資本主義の終わりを認識できないのである。

 ここで、解答の理由を一気に述べたいところだが、字数の関係上初回の今日は、第1と第2についてのみ述べることにし、続きは次回以降とさせていただく。

 まず第1に、資本主義がすっかり全部終わったのかと問われれば、そうでもないと答えざるを得ない。

 資本主義をひとつの生物体に見立てれば、あちこちの臓器が麻痺したり、壊死を起こしたり、あるいは臓器が入れ替えられたりしているものの、いくつかの臓器はもと通りに残っていて、生物体自体は喘ぎ喘ぎ生き続けている。この姿を見れば、まだ終わっていないと認識することが、あながち誤りだと言えない。

 私も、資本主義のすべてが、すっかり終わったとは言い切れないと考えている。しかし、それでもなお、「資本主義は終わっている」と認識した方がよいと思う。なぜならば、「資本主義」という言葉に束縛されて、経済の現状をリアルに見ることができなくなるからだ。

 第2に、資本主義が終わっているとしても、その時期を確定することが困難であることがあげられる。

 ある人は、2008年秋の金融崩壊を目の当たりにして資本主義が終わったと言うだろう。またある人は、1985年のプラザ合意に終わりの萌芽を見たと言うかもしれない。

 途中を省略するとしても、マルクスには触れないわけにはゆかないだろう。彼が予言し、嘱望した資本主義の終焉は、1917年の十月革命によってソビエト連邦社会主義国家として成立し、少なくとも部分的には、資本主義から社会主義に体制が移行された。

 そして、それから以後は、社会主義国家は資本主義の終焉を喧伝し、資本主義国家はこれに対抗して、長期間の冷戦が続いた。しかし、1991年にソビエト連邦は解体した。これによって、社会主義国家の成立によって資本主義が終焉したという考えは、霧消してしまった。

 このように、資本主義の終焉の時期を確定することは難しい。

 およそ1つの体制が終わり次の体制に移行するときには、誰が見ても分かるようなメルクマールがある。ごく簡潔に言うとすれば、それは、転換の節目に武力が行使されることと、所有形態の変更が行われることだと、私は考えている。

 前者については、戦国時代から封建時代へ移行したときも、封建時代から近代、すなわち資本主義の時代に移行したときも、そして、部分的、一時的ではあったがソビエト革命のときにも武力が使われたから、時代を画する線は引きやすい。

 しかし、今度の資本主義の時代の終わりについては、武力は行使されていない。また、武力は行使できない。なぜならば、資本主義を擁護すると標榜している現体制は核兵器を持っているから、それを武力で覆すとすれば、核兵器以上の武器を使用しなければならないからである。つまり、時代の移行の節目に武力が行使されるということは、もはや現実性がない話である。だから、資本主義の終焉には武力は使用されない。したがって、武力の行使はメルクマールにはならないのである。

 そうだとしても、破壊されるプロセスと結果に着目して資本主義の終焉を論ずる方法はあり得る。武力が行使されなくても、プロセスと結果において同一であるならばその方法でよいし、武力が行使されない以上そのような方法によらざるを得ない。私は、その方法で資本主義の終焉を論じようと思うが、何せ大量に鉄砲を輸入して上洛したり、奇兵隊を結成してひと暴れするのとは異なるので、鮮やかな絵は書きにくい。

 では、後者の所有形態の変更の方はどうだろうか。

 ここにこそ、私が「資本主義は終わっている」と言う根拠があるのだが、実のところ、これも分かりにくい。この所有形態の変更は、武力を行使して截然と旧体制から新体制に変更させた前の時代とは異なって、長い時間をかけて行われたものであるから、結局資本主義の終焉の時期を確定することは難しいのである。その難しさが、資本主義が終わっているという認識が人々に広まらない理由である。(廣田尚久)

※本エントリーは2009/12/09にCNET Japan ブログネットワークに掲載されたものです。
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